1月8日(水) 増田記者、きれいごと


山崎武司へ贈る言葉

1/9付け中日スポーツで、中日からオリックスへの移籍が決定した山崎武司について、 番記者の驚愕コラムが掲載された。 「困ったとき、ぼくらが最後に駆け込むのが彼のもとだった」で始まるそのコラムは、 負け試合でコメントがないとき、山崎が嫌がらずコメントしてくれた事を懐かしみ、 99年の優勝を決定つけたサヨナラ本塁打の思い出にひたり、 新聞記事に山崎が落ち込んでるのを「心が痛んだ」と言い放ち、 「絶頂期との大きなギャップが地元のヒーローを少しずつ追いつめていたのだろう」 と、まるで 追い詰めた人達の中に自分は入っていないかのような 他人事の物の言い。 そして 「名古屋から出ることできっと何かをつかむと思う」 と、まるで左遷された課長の送別会のような心の籠もってないセリフ でまとめに入り、

「そして戻ってくればいい、愛情を残したままのドラゴンズに」

などと締めているのだ。

 この記事について、 ファンからは「お前が言うな」の声がひっきりなしに上がっている。


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  きれいにまとめてんじゃねえよ、中スポ。
 
  

  
  今までさんざん叩いておいて、「いい人」になろうとしてない?
 
  
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   そもそも山崎バッシングの元凶は、中スポの1面トップ記事、

    山崎、ダメ弾!
 から始まったんだよ。あれからネット上で山崎バッシングが雪崩れ式に広まったんだ。 「親会社が言ってるんだから、山崎の悪口は『言ってもいい』んだ!」って。

 打っても文句をいわれ、打たなくても文句を言われ。
 挙げ句に 「聞くところによると山崎の得点圏打率は低いそうじゃないか。 だったら新聞に得点圏打率を載せよう!」 なんて、 ドラ番記者OBで今はフロントの権力者のイヤガラセ案を採用し、 山崎叩きに新聞をあげて協力していたくせに。

 
  

  
   「叱咤激励」で山崎さんを励まそうとしてたのかも知れないわ。 そうは見えなかったけど。
 
  
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   山崎が罵声をバネにして打てるようになるタイプ、 じゃない ことは、ここ数年でもう誰の目にも明らかだった。 なのに新聞を上げて叩き続けたんだぜ。 その叩き続けた本人が、 「そして戻ってくればいい、愛情を残したままのドラゴンズに」だって。 ヘソが茶を沸かすとはこのことだよ。
 
  

  
   ♪ 「あの子いいやつだった」なんて
 ♪ 顔も覚えてないくせに

 死んだ途端にまるで親友だったかのように泣き出して、 自分を保身する同級生みたいね。

 
  
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   イジメてたのは自分たちなのにな。