それペナ2002/センイチの逆襲

【島野争奪編】

【訂正】 12月25日付け記事の中で “確か「日本一」の前に「ナゴヤドームで」がくっついていたような気がする” とありますが、sato23の気のせいでした。 夫人が娘さんに「パパの日本一の胴上げをナゴヤドームで見たい」と言った話だと思ってたのですが、 そうではなく、それとは別の話で、夫人が(娘さんではなく)島野コーチに言っていたのだそうです。

12月25日(火)シマノ氏、阪神移籍を希望

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 シマノ氏と中日の第2回交渉が行われ、シマノ氏が中日から提示された複数年契約を拒否、 「亡くなられた(星野監督の)奥さんから『日本一の胴上げをするまで頑張ってほしい』 と言われている。約束を実現したい」(シマノ氏)と、 阪神への移籍希望が本人の口からはじめて明言された。 確か「日本一」の前に「ナゴヤドームで」がくっついていたような気がする が、それはまあ解釈の範囲内。 中日・西川球団社長は 「最終的には本人の意思に任せるしかない」と、シマノ氏の引き留めを断念する方向になりそうだ。 つい前日に阪神・川尻の移籍志願について 「プロ野球は契約社会」と説教しておきながら、 シマノ氏と中日の契約を反故にしてしまった センイチ君もさすがだが、 このオフの山崎・中村の造反といい、 選手・コーチに対し、センイチ君への忠誠心を育てるばかりで球団への忠誠心を育てられなかった球団 もさすがといえばさすがだ。

12月24日(月)中日、困ったときの複数年

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 「来季スタッフはすでに発表済みだから」をたてにシマノ氏流出を防ごうとしていた中日だが、 そんな理由で引き止めに成功しても、 来季オフにさらに大量のデータを土産に大手を振って移籍されるだけ だという事に気付いたか、シマノ氏にコーチとしては異例の3年複数年契約を提示することを決めた。 「3年かけて若手育成を」というのが建前の理由だが、 センイチ政権時代、ただひたすら乱闘とクセ盗みしかしてなかったシマノ氏の 何をどう見て「若手育成」などという言葉が出てきたのか 、対応に困るとすぐ「複数年契約」を出してその場しのぎをし、 結果うまくいった事が一度もないこれまでの反省がまったく活かされていない中日フロントだった。

12月20日(木)シマノ氏の譲渡を申し入れ

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 センイチ君が名古屋市内の中日球団事務所を訪れ、 シマノ氏の阪神への譲渡を正式に申し入れた。 中日は西川球団社長と伊藤一球団総括と 昨日今日とフロントに入ったばかりでそれほどセンイチ君に弱みを握られていない二人 が応対し、 「敵対する相手(阪神)の戦力を強化する事はできない」 と拒否の姿勢を示したが、センイチ君は 「すぐに望み通りの返事がないのは当然のこと。 (返答が)いいにしろ、悪いにしろ、時間はかかる。あとは島野本人がどう考えるかだ」 と、 間接的にシマノ氏に「断れ」と指令 。センイチ君を選ぶのか、中日を選ぶのか。 最初の踏み絵 を踏まされるシマノ氏の判断によっては、 今後の中日選手の動向に影響を及ぼす可能性もあるだけに注目が集まる。

12月20日(木)クマオーナー、フォロー無し

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 シマノ氏移籍を巡る問題で、阪神・クマオーナーが 「私が行くと話がややこしくなるので、センイチ君に任せる」と 全面フォローを約束しておきながら、面倒なことは何もしない ことを宣言、阪神伝統の「フロント・現場の一体感の無さっぷり」を 早くもセンイチ新監督に見せ付けた。 これによりシマノ氏を巡る争いは「阪神vs中日」ではなく 「センイチ君vs中日」であることをあらためて強調、 もともとは阪神のお家騒動に始まったこの監督交代劇、 実は中日のお家騒動だった ことにそろそろ周りも気付くころだ。

12月12日(水)センイチ君、シマノ氏引き抜き!

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 この日行われた阪神とセンイチ君の監督就任交渉で、 センイチ君が監督就任の条件として、 元阪神で現サンデードラゴンズ解説者のタブチ君と、 元阪神で現中日コーチのシマノ氏の阪神コーチ就任を要請していたことが明らかになった。 シマノ氏は今シーズンまで中日の作戦コーチ という名のクセ盗み&乱闘要員、 来季は中日2軍監督 という名のセンイチ派の内乱防止のための飼い殺しポスト が内定していたが、現時点で契約更改を保留している。