【プレイバック水谷コーチ休養】
はじまった「センイチおろし」


水谷、トカゲの尻尾切り

 2001年7月22日、オールスター休み中、 中日は水谷打撃コーチの休養を発表した。 水谷コーチはセンイチが他球団から引っ張ってきたコーチである。 これまでセンイチ政権ではコーチ人事はセンイチに全権委任されていたはずだが、 センイチの意思を無視した「フロントの人事介入」が行われたのである。

 この「処分」について、センイチは
 「コーチが変わっても何も変わらん」
 と反発し、実際、竜打線はコーチが変わったくらいでは何も変わらなかった。
 そしてこの更迭劇について、センイチが「(水谷コーチには)体調が戻ったら帰ってきてもらう」 と水谷コーチの立場を気遣ったのに対し、 球団フロントは全く違うコメントをし、 現場とフロントの確執が表沙汰になった場面だった。


星野監督:

 「水谷打撃コーチが尿道結石のため、休養することになった。山田コーチも二軍に回ってもらう。後半戦、一軍は石井二軍コーチにみてもらう。水谷コーチには体調が戻ったら、また復帰してもらう」

伊藤修球団代表:

 「不振の要因は打撃にある。それに選手の間からも離反があった。本人から“辞めたい”と申し出があった。ファームを見てもらいたいが、辞意は固かった。2、3日待つことになった」

児玉代表補佐:

 「申し出ではなく、球団の判断で外れてもらった。水谷コーチは体も悪く、ショックも大きいので、ゆっくり考えてもらうことになった」


 揃わない足並み。 水谷コーチの顔を立てようとしたセンイチに対し、児玉代表補佐は更迭、 即ち「クビ」であることを強調した。 それは取りも直さずセンイチから人事権を剥奪する事であり、 同時に、センイチに対する辞任勧告でもあった。