さて、「クラシック音楽家の偽装事件」にはゴースト問題とは別に (わたしはゴーストの件は問題とは思ってませんが)、 もっと重要な、デリケートな問題があります。 それは売り手側の「障害者であることを売りにした」と思われかねないビジネス・スタイルと、 書い手側の「障害者なのに素晴らしい!」と感じてしまった人たちの心の罪悪感です!
作品に「こんな境遇(=耳が聴こえない)の人が作った」という付加価値をつけて感動してしまった人は、 じゃあそのオマケがなかったら感動しないのか、その作品の価値は落ちるのか、 という潜在意識の中の偽善を問われているのです! 「障害者」という付加価値がプレミアになる。 付加価値がお金になるから、(たとえ嘘をついてでも)付加価値を付けて売る人が出てくる。 買う人がいるから売る人がいる。 「お前らはこういうことに感動するんだろ? ほうれほれ、だったら感動させてやるよ!」 「障害者なのに曲が作れるなんてすごい! 健常者ならともかく、障害者なのに! 障害者でも努力すればすごいことが出来るんだね! 障害者なのに!」 「勇気をもらった! 夢をありがとう! 感動をありがとう!」 と思ってしまった自分の気持ちにどう折り合いをつければいいのか。 自分は障害者の作ったものだから感動したのか。 自分はひどい偽善者じゃないのか。 障害者を健常者より下に見ていたのではないか。 無意識のうちに障害者を差別していたのではないか。 自分が健常者である事に優越感を持っていたのではないか。 「障害者なのに」、という言葉の中に潜む不遜さ・傲慢さ。 自分は今まで障害者をどういう目で見ていたのかが、 そこで明らかになるのです! (明らかにならなかったときは、 無意識下の罪悪感は他者への攻撃という形でストレス発散されます) (「騙したな!」「このインチキ詐欺師め!」) このリンゴは一個百円。 障害者が作ったリンゴ、一個五百円。 食べ比べてみると、意外なことに障害者が作ったリンゴの方が美味しい。 素晴らしいな、これなら値段が高いのも納得! でも、なんで商品札に「障害者が作ったリンゴ」って書いてあるんだろう?
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映画『英国王のスピーチ』は、イギリス国王ジョージ六世が 「障害者なのに」イギリス国民の前で素晴らしいスピーチを行う、というお話です! もう感動の連続です! ジョージ六世がすごい頑張るんですよ! 障害者なのに!
(2014.02.07)
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原題 | The King's Speech |
邦題 | 英国王のスピーチ |
公開/製作 | 2010年/アメリカ |
出演 | コリン・ファース(ジョージ六世)、ジェフリー・ラッシュ(ローグ)、ヘレナ・ボナム=カーター(エリザベス妃) |
監督 | トム・フーパー |